京つう

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Posted by 京つう運営事務局  at 

2012年03月15日

嵯峨釈迦堂

今夜は嵯峨釈迦堂で有名な清涼寺さんへ
行って来ました。


20時頃に着いて暫く待ちました。



20時30分頃点火しました!!






初めて観ました。

当然、火の粉を浴びてるので、
服に穴が空いたのは残念です。

が…、良かったです。


  
タグ :嵯峨釈迦堂


Posted by アル  at 22:11Comments(0)神社仏閣勉強室

2012年02月16日

岩清水八幡宮へ

吉祥院のお蕎麦屋さんを後に171号線の方から八幡市の岩清水八幡宮へ行く。


(ここからの文章はネットを参照してます。)


石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は京都府八幡市の男山山頂に鎮座する神社。

京都の鬼門(北東)にある延暦寺と対峙して京都の裏鬼門(南西)を守護する神社である。

二十二社の上七社の一つであり、中世においては伊勢神宮と共に二所宗廟の一つとされ、勧請元の八幡宮総本宮たる宇佐神宮よりも格上とされた。

近代社格制度においては官幣大社に格付された。

同じ官幣大社の宇佐神宮、筥崎宮、または筥崎宮に代えて、格下の鶴岡八幡宮(国幣中社)とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられる。

境内は国の史跡、本殿をはじめ建造物16棟等が国の重要文化財に指定されている。


と、まー八幡市には過去に稀縁が有ったのだけど、岩清水八幡宮へお詣りに赴くのは初めてでした。



駐車場に着いて表参道を歩く。






石段を登り








第3の鳥居をくぐり本殿の前まで来る。

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Posted by アル  at 14:50Comments(0)神社仏閣勉強室
先日、訪れた、吉野に『村上義光公』の御墓が在る。

一体、どんな人物だったのでしょうか?

少し調べてみました。


室町幕府の創設期が登場する『太平記』には元弘の変の頃、後醍醐天皇が鎌倉幕府の執権、北条氏の軍勢と戦った笠置山が陥落し、潜伏していた南都の般若寺から熊野へ逃れる護良親王に供奉(ぐぶ)した9名の1人として登場する人です。


護良親王は後醍醐天皇の第二皇子であり。


親王を熊野へ逃がす際に
、村上義光は親王の鎧兜を身に付け、身代りとして迫り来る幕府軍を前に切腹をする。

その時に。

「天照太神御子孫、神武天王より九十五代の帝、
後醍醐天皇第二の皇子一品兵部卿親王尊仁、
逆臣の為に亡され、
恨を泉下に報ぜん為に、
只今自害する有様見置て、
汝等が武運忽に尽て、
腹をきらんずる時の手本にせよ」と叫び、
切腹して自刃した。

この時、自らのはらわたを引きちぎり敵に投げつけ、太刀を口にくわえた後に、
うつぶせに伏となって絶命したと言う壮絶な逸話があるみたいです。


後に親王は
『村上義光が勇は北宮黝(ほくきゅうよう)の勢いをもしのぐ』と褒め称えたそうです。
(注:北宮黝は古代中国の勇者)


  


Posted by アル  at 23:54Comments(0)神社仏閣勉強室

2010年07月31日

角大師

今日で7月も終わり、暑い夏の真っ最中。

熱中症には気をつけて過ごしましょう。












で、今日は先日から気になってた『角大師』を調べてみました。


その昔、比叡山の僧侶、良源(元三大師)が、疫病に苦しめられたのを機に衆生を病魔から救う誓願を立て、みずから鬼形になった相を絵にあらわし魔除けの護符としたと言われてます。

戸口に貼って悪疫が家に入るのを防ぐと言われてます。



  


Posted by アル  at 22:34Comments(0)神社仏閣勉強室

2010年04月05日

宗像大社


今日は少し、日本の神様について勉強したいと思います。

『宗像大社』さんを検索して、検索結果から一部を引用します。



宗像大社は福岡県宗像市に在る神社で、天照大神の三柱の御子神をお祀りしてます。

この三御子神は女神様で三姉妹神で名前は、


田心姫神(たごりひめのかみ)


湍津姫神(たぎつひめのかみ)


市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)


と、申し上げ、沖ノ島の沖津宮には田心姫神、大島の中津宮には湍津姫神、田島の辺津宮には市杵島姫神が各々にお祀りされていて、この三宮を総称して宗像大社と申します。


いつか行けたら良いな。

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Posted by アル  at 20:15Comments(0)神社仏閣勉強室